SENDAI ORIGIN

YouTubeチャンネル「SENDAI ORIJIN」制作者のブログ

子育て世代は!?前代未聞の小中高の一斉休校で本日感じたこと

 今日は2020年2月28日、早朝舞い込んできた、新型肺炎コロナウイルスに対処した小学校、中学校、高校の約1か月間の全国一斉休校について思ったことを書かせていただきます。

 まず率直な意見としては、私は休校策には一定評価はしています。その理由ですが、①子供を最優先した考えがあること。②全国一斉で、同じ考えの元、行われること。このコロナウイルスが拡散している今、全国統一でやる価値はあると思います。日本は子供のことを思い、こんなことができるんだというのは、海外に対しても誇れることです。私は子供ありきの世の中、子供ありきの日本、そういう意思がこの日本に薄れてきていると感じていました。今の社会が子供ありきというのが土台にない、私はそう思っています。私はそういったことに不満を感じていました。

 地域活性化、最近はよく聞く言葉で、それに絡めたイベントは昔より増えたと感じます。地域住民が触れ合う、協力し合う、そういう意識が芽生える土壌には、子供の存在は欠かせません。子供がいるから知らない家庭同士が仲良くなれる、協力し合って地域を盛り上げたい、そういう気持ちになのではないかと感じます。私は昨年中学になった息子が小学生時代は、小学校の父親有志で作るおやじの会で一時期活動していましたが、子供は地域の宝だと思っていましたし、どんな子供にも平等に接していました。

 そんな私ですから、私は子供なんか作らない、社会が良くなる活動をしていくんだという人をたまに見かけると、何言ってんですか?と、子供を無視してどのように社会を良くしていくんですか?、自己満足の活動ですか?そう言いたくなります。まあ自己満足というのは少々言いすぎですが。日本が良くなるためには、どうしたって将来を担う子供の存在を忘れてはならないと思います。

 いつしか日本という国は、平気で非正規労働者契約社員という期限付きの労働者を増やす国になりました。労働者よりも資本家が重視される日本になってしまいました。

 今回の全国一斉の休校、それ自体は先ほど申した通り私は評価しているのですが、しかし・・・、共働きで小学校の低学年がいる家庭であれば、やはり長い期間、家においておくのは親としては気が引けるところでしょう。そういった国の休校に対する不満が本日は多く出てきていますね。子供を感染から避けさせるため自宅待機させる、その考えは悪くありません、しかしながらそれによって生まれる共働きの親の負担はどうするのでしょう。その部分が日頃、まったく考えられもせずにここまできてしまった日本なのです。共働きしなければ家計が成り立たない方がたくさんいるのに、今回のようなとき、それに対する対処がまったくないわけです。このことは日本の盲点だったと私は強く思います。少子高齢化が進み、子供ありきの日本ではなくなってきている、それが今回噴出した問題となってしまっています。ですから全国一斉休校には、欠点があったともいえるでしょう。

 私は労働組合の活動として、将来的にはその部分、労働者と子供、その2つに関連する問題について、クローズアップしていきたいと考えています。日本に光明が差すには資本家よりも労働者の方に利益が来るようにしなければなりませんが、お互いに助け合っていこうという精神は、子供がいる同志だと格段にそういう意識が上がっていきます。もう6年以上前の話になりますが、私の子供が保育園にいるとき、迎えに行くとヤンキーっぽい男性が、すごく子供に気を使い、また親同士である私に対しても、心のこもった挨拶をいつもしてくれました。勢いで子供を作った方かもしれないのですが、子供ができれば自分が子供ではいられなくなります。子供に大人にさせられるのです。どんな人だってそうだと思います。

 ですから非正規社員増大なんて、もっても他だと私は思っています。男性がそういう状態で家庭、子供が持てますかと。大学を卒業しても非正規になり、30歳くらいになっても親元から離れない・・・、そういう人と、元はヤンキーでも子育てに頑張り周りにも気を使える人間になっている人、どっちの人間が多くなった方がこの日本は良くなります?答えは明らかでしょう。非正規で正社員になれないから私はもう家庭はいい・・・子供はいい・・・、独り身で友人と楽しく生きていきたい・・・・若い人たちがそういう考えになっていくことも、私は懸念しているところでもあります。

 今回の小、中、高、一斉休校、安部首相が決断を出したわけですが、やはり安部首相からは子供を思う気持ちは伝わってきません。政府は初期の段階で失態を犯しています。中国人観光客を早い段階でシャットアウトしなかったこと。その後ろめたさがあるので、今回の断端な判断を下したとしか私には思えないのです。数日前に北海道知事が先陣を切って道内休校を発表して大衆から評価を得たため、やるべきだと突き進んだということも思われます。結局のところ評価を得るため、そういう意味合いに感じでなりません。もし昭恵夫人に子供がいたら、一斉休校を行うことによって生じる問題について、当事者的な立場で考えられたのにと思います。

 来週から子を持つ共働きの家庭にどんな変化が訪れるのでしょう・・・。

 学校関係者は教育者という誇りをもって、家庭で生活する子供の立場になって、行動を起こしていくのでしょうか・・・。私はそこにも注目しています。国の策に立場上黙って従うか、それとも部活さえできない児童、生徒の立場になって物事を考えられるか?

 

 そして、企業は子育て世代を抱える労働者をどんな目で見るのでしょうか・・・。

 

 日本全国の子供たちが家庭待機という前代未聞の事態です。

 日本がこんなに子供のために足並みをそろえられること、それはある意味、世界に誇れることです。しかし、名実ともに誇れるのか?私たちはそこの部分を深く考えるべきでしょう。

 労働組合とて、賃金交渉等の経済闘争から脱皮し、社会を支えている労働者としても誇りを持ち、子育て家庭に起きる支障についての問題提起はしていくべきだと思っています。

 子供の保護者の働き方改革、このことを考えるような状況下に置かれた人物が、今まで現れなかったことは残念です。労働組合は現在、組織率が下がっており、家庭を大事にしている人は組合活動をしない傾向にあり、また、その逆のパターンもあると私は思っています。ですからこういった問題はなかなか話が進まないところはありますが、今後、私はそのような意識ある皆さんと、子供の保護者の働き方改革については考えていきたいと本日感じました。

 

「やなせたかし」さんの戦争体験から来る思い

 やなせたかしさんは、お亡くなりになられていますが、94歳まで元気で活躍されていた漫画家でした。

 人気アニメ「アンパンマン」の主人公は、自分の顔をちぎって人に食べさせる、というのがあります。そのようなヒーローが誕生した背景には、やなせたかしさんの戦争体験がありました。青年時代6年間軍隊で過ごしたやなせさんは、終戦間近、上海戦争に備え1000キロの行軍をしました。そして飢えに苦しみました・・・。この体験から、やなせさんは痛切に思ったことがあったといいます。

「この社会で一番憎悪すべきものは戦争だ。絶対にしてはいけない」「今の日本では飢えが身近にないので、実感がわきにくいかもしれない。だが、しばらく何も食べないでいれば、飢えのつらさは体験できる。本当に飢えているときには、どんな大金より、一切れのパン、一杯のスープのほうがすっとうれしい」(やなせたかし・明日をひらく言葉<PHP文庫>)。

 戦争とそれによる飢えは、それまでの正論さえもひっくりかえってしまいました。「正義は不安定なもので、ある日突然逆転する」「正義のための戦いなんてどこにもないのだ」(やなせたかし・明日をひらく言葉<PHP文庫>)。

 しかし一方では、逆転しない正義もあったようです。それが献身と愛、弱者を助けること・・・、自分の身を削って人を助けるアンパンマンには、そんなやなせさんの思いが凝縮されています。

「正義を行おうとすれば、自分も深く傷つくものだ。でもそういう捨て身、献身の心なくしては、正義は決して行えない」「困っている人のために愛と勇気をふるって、ただ手を差しべるということなのだ」(やなせたかし・明日をひらく言葉<PHP文庫>)。

 また(私が正義について語るなら<ポプラ社>)では、アンパンマンを書いたのは「本当の正義」を伝えたかったからということが述べられています。アンパンマンはヒーローだが情けない。弱点もある。「正義を行う人は非常に強い人かというと、そうではないんですね。我々と同じ弱い人なんです」(私が正義について語るなら<ポプラ社>)。大変な名言です。弱い部分があるから弱い人の気持ちも分かる、考えてみればそのような部分が自分にないと、同じような境遇の人の気持ちは分からないと思います。こんな私だからこそ正論を言い闘っていけるのか?、と感じ、自己卑下に満ち満ちていた私は、やなせさんの言葉に心が洗われていきました。

 決して最強ではないが、身近な人の幸せを願い、困った人を助けることこそ正義、アンパンマンの歌にもある通り一貫して「愛と勇気」を伝えたアンパンマンを生み出したやなせたかしさん、このような私でも、やなせたかしさんに教えられたことにより、能力・力量を気にせず、毎日の生活を送れています。