夜明けのCRYSTAL ROAD 北上京だんごの風

懲戒解雇から復帰した組合分会長のブログ

腐ったミカンの方程式

 2018年1月に職場復帰を果たしたものの最初は隔離部屋勤務、所属していた営業部の部屋には入れるようになったものの、すぐに直営の販売店勤務が待っていました。

 昔、我々の世代ですと記憶にあるのですが、TBSドラマ「3年B組金八先生」で、「腐ったミカンの方程式」、という回がありました。桜中学に不良が転校してきました。その生徒が今まで通っていた学校の先生が金八先生に言うのでした。腐ったミカン(不良)は取り除かなければ繁殖する(不良は増える)・・・というようなことを。そこで金八先生は言います。「腐ったミカンとお考えですか?」と。さすが、人権を重んじる金八先生の名言です。

 直営販売売り場勤務と命じられたとき、どうしてもその金八先生のその回のことが、思い浮かびました・・・。

 今、私は営業部の配属として、本社に勤務し、周りの従業員に普通に話しができています。腐ったミカン・・・それは会社側の幻想ということが労働者に伝わった結果だと感じています。しかし、会社に反旗を出した、そのことが許せない・・と根強く思っている人は労働者の中にはいるでしょう。

 反旗を出すか否か、それは筋が常識的に見て通るか通らないか、基準はそこあらなければならないと私は感じます。

  ・・・日本は80年代、労働組合の再編がありました。それ以前の労働組合は今よりも、自分たちの立場を守るというために、会社と闘う労働組合が多くありました。しかし国鉄が民営化し、国鉄労働組合も様変わりしていきました。それに伴い、労働者の利益を体を張って守るという労働組合も激減していきます。

 資本家、政府、そして組合の執行部が互いに距離を縮めていき、労働者の利益を守るはずの労働組合の上層部が、資本側に付くという変な状況が形成されていきます。労働者全体のことより個人の利益、組合の執行部がそのように変貌していきました。

 今の日本の状況を見ると、資本家、政府、労働官僚が主体となる労働組合の思うつぼの世の中になってしましました。

 非正規雇用増大からは、豊かな日本は生み出せません。マンションのチラシが多くなっても、実際にローンを組んで買える人は昔より少なくなっています。この矛盾は今後、解消されていくのでしょうか? ・・・このままでいけば難しいと言えるのではないでしょうか?

 労働組合が労働者の生活まで考えるという、当たり前であらなければなかないことを、私たちは、ここで今一度、見つめ直すことが大切であると私は思います。

 

 解雇期間中に桜が入った街中を高台で撮影した1ショット。その時の感情は画像に表れるのですね。4月の風に誘われてすがすがしく見える街並み、でも画像はどこか切なさを感じます・・・。

 

  

 

 

隔離部屋での日々

 前回までで高裁でも解雇無効の結果、また労働委員会では原職復帰命令も出て、2018年の年頭、職場復帰か、ということになりました。

 かたくなに職場復帰を拒んでいた経営者の口から勤務命令が出たことは大きな前進でした。そこまでたどり着けなかった方も、解雇された方々の中にはたくさんいます。涙を飲んだ方は、たくさんおられるでしょう。やはりこの時、職場復帰には、改めて労働組合の団結の力をひしと感じていました。会社は違えど合同労組の人々の温かい支援があるから、ここまで来られたのです。私は今でも、一生かかっても、そういう人たちに何ら化の形で恩返ししなければと思っています。会社側から見れば組合員は私一人でしたので、初めは私しか見えないので油断していたはずです。でも実際には私の背後には全国の合同労組の組合員の同志が何百人もいるのです。

 経営者からお金をいただいているので経営者の方が強いという考えは一般的にあります。たしかに雇っているのは経営者です。とかく我々は、そういう状況の部分からしか、物事を考えないクセをもっています。ところがどうでしょう。いくら営業する道具を会社から会社のお金で与えられても、営業して利益を出しているのは労働者です。その労力をお金に変えられて、その中の大半は設備投資等に回されてしまいます。私はずっと前から、有名な宮城の名産品であるずんだ餅を工場で製造し、その製品を売り込んんで得た利益は会社に生じますが、現場の労働者にはあまり回ってこないというのを感じていました。

 誰かがセーブしないとならない、金を持ってないとダメだ、と言われたこともありますが、そう言うのが水準の考えは私は耳にしません。金があればすべて物事良くなる、それが基準の考えから私達が脱却したとき、本当の価値観が見えてくるはずだと私は思います。

 勤務することになった隔離部屋。なぜ会社がここに勤務させるのか?、その答えは、まだ解雇撤回闘争が終わってないことと結びつきます。あえて私はここで言いません。でも会社の人達と触れ合うことのない、隔離部屋です。

 この隔離部屋とは・・・・、実は会社工場が移転前に、営業部として以前、使用していた部屋でした。もはや電話もない部屋でしたが・・・。一人部屋にいて机に座ると、辞めていった同僚の姿が思い浮かびました。いろんな人がいました。比較的若い人もいましたし、結婚して子供もいる人もいました。そういう人たちは今、どうしているのでしょう・・・。、せめてそういう人たちを・・・・組合をもう少し早く公然化して救いたかったと、その時、感じました。その時はもう、もの家の殻となっている場所でしたが。

 ただ、その部屋にいることを嘆いているなんていう感覚はありませんでした。そんなことより自らの前向きな態度を、労働者に示す必要がありました。労働者に対しては隔離部屋出勤でも定期的な組合活動での朝のビラまきは、行われていきました。「えっ、どこにいるの?」と、工場の一部の人から言われました。それはそうでしょう、見かけないからそういう言葉も出るのでしょう。

 そんな状態が半年は続きました・・・。

 そんな中、会社は初めて労働委員会の和解の提案に応じた様子でした。解雇理由がないのにもう2年以上も引っ張っている闘争です。これ以上引っ張っても意味がないのです。本当はこういうことに、会社はもう少し早く気づいて欲しかったと私は思います。

 18年7月、ついに経営者から本社の営業部室に席を設けるという話しが、私に対して出されました。今や和解をすると言っても、隔離部屋がネックになる事項であったのです。

 2018年7月、隔離部屋から本社の営業部室に常勤になり、解雇撤回闘争も終焉・・・・とはならなかったのです。

 本社の営業部室には席を設けられました。しかしそれは私から見れば形だけで、今度はスーパーの直営催事売り場の勤務を命ぜられるのでした。

一難去ってまた一難という言葉がありますが、災難ではないですがそういう言葉がその時、思い浮かびました。なにかドラマのストーリーを観てるような感じがしました。なかなかハッピーエンドで終わらないという。

 

 そして今度はスーパーの直営催事売り場常勤です。

 

 でも店員の経験もある私は、別にそういう業務に違和感はありませんでしたが・・。

 

 

 

 

日本のこれまでの労働運動から見えるもの

 日頃から真面目な行動を心掛け、物事は正直に言っていく必要があるというのが労働運動でしょう。

 しかしながらここで私が思うのは、現代において労働組合法がある日本であるのに、労働運動、労働組合活動は昔の方が盛んだったのではないかということです。

 労働運動の歴史を紐解くと、日本では明治維新以来、資本主義が進み、急速な工業化が進みました。ところがその一方、労働者の生活について省みることはほとんどありませんでした。富岡製糸場が民営化もあいまって1日10時間~12時間労働で、休日が月2日という過酷な労働条件で働かされていました。そんな中、1898年、労働組合期成会という日本で初めての労働組合が結成されましたが、数年後の1900年、治安警察法が制定され、労働運動の弾圧が始まります。そのため期成会は5年で解散に追い込まれました。そして海外でのロシア革命(1917年)の成功後、日本では政府の労働運動の弾圧も激化することになります。その後も戦前には数々の労働運動の出来事がありましたがここでは割愛します。

 では戦後はどうか? 何といってもアメリカ軍の民主化政策があり、その一つが労働組合の育成でありました。1945年にこのブログの中でも語られている労働組合法が制定、1947年には労働基準法も制定されております。当時の最大の労働運動が1947年の「2・1ゼネスト」でした。労働者が政権を奪取できる時期でしたが、アメリカ軍は日本の安定のためとこれを禁止しました。以後、反政府色の強い労働運動に対し制限が加えられるようになります。ここで思うことがあります。「2・1ゼネスト」では労働者の立ち上がり、その力は凄いものでではなかったかということです。しかし労働者の立ち上がりを物にできなかったその当時の政党、また労働者の立ち上がりよりアメリカ軍の命令を優先してしまったこと、そこにやはり現代の日本の労働者の意識の中にもある、労働条件に不満があっても立ち上がれないという意識、それと同じようなものを当時の政党にも感じます。やはり自分の立場、身分の維持が困難になるような状況に陥る恐れがあるのに、人はなかなか立ち上がれません。それに誰だって周りには顔を良くしたいのです。でも私はそのタブーを破ってしまいました。それが元で懲戒解雇ということになってしまったわけです。ですから当時の政党がアメリカ軍に従ってしまったこと、これは心情を分析すれば答えが出てきます。

 1950年、アメリカ軍指導で総評という労働組合が結成されます。そしてその総評結成以降、政府国家官僚、資本家、労働貴族官僚の三極支配構造が形成されていきます。この三極支配構造こそ、今日(こんにち)の労働者の方に利益が回ってこないという、労働者が置かれた状況につながっていきます。そのため戦後、現在に至るまで労働組合活動とは労働者全体の地位を上げよう、労働者として社会を支えている誇りを持つような状況にしようというよりも、ストレートに経済要求、賃金交渉という言葉が出てきます。戦後のこのような構造の中で、人のためというより金のための活動が組合でも主体になっていったのではないでしょうか。 なお、総評結成後、1952年サンフランシスコ平和条約が発効、アメリカ軍の日本支配は終わります。

 1959年は何といっても歴史的な三井三池闘争は外せません。三井三池炭鉱での争議ですが、財閥と総評もが支援に入り、総労働と総資本の闘いと言われ労働組合側が敗北しました。1960年代に入り労働運動に絶対反対から政策転換が求められる事態になります。政府国家官僚、資本家、労働貴族官僚の三極の力が発揮され、構造の柱は、ますます強靭なものになっていきました。

 そして同時期、高度経済成長期が始まります。経済成長の力で労働者の賃金は毎年上がっていき雇用も安定していきます。ただここでとらえていきたいのは、この時期物価も上昇しています。ということは賃金が上がっても物価も上昇していたら、実質はどれくらい給料があがったということになるのかともなるのですが。

 1970年代に入ると1973年にオイルショックがあり、高度経済成長は終わりの時期を迎えます。ただ経済は安定期にあり労使関係の安定化も進みました。しかし、それにより労働者の労働組合離れも進んでいくことになります。

 そして1980年代、労働組合の再編があり、新しい有名な労働組合が登場しています。けれども、政府国家官僚、資本家、労働貴族官僚の三極支配構造が解体されたわけではなく、労働者側の労働組合の上層部も官僚につながっているという構造は続いていきます。80年代に新しい労働組合が登場し、この時点で構造が変わっていら、今日のような労働者の搾取が露骨になる状態にはならなかったでしょう。でも労働者側もこの時期のバブル経済に酔いしれ、いつまでもそのような時期が続くと錯覚してしまい、さらに労働組合を頼りにしなくなったこともあるでしょう。私は20代の時で、とにかく正社員の求人が多い時でした。求人票に昇給はちゃんと書いてあり、本当にいい時代でした。でも魔法に掛けられ、労働者が労働者としての立場、階級に誇りを持つという意識はどれだけその当時あったのか、それは自分自身も含め反省すべきところです。

 そしていつまでも夢のような時代は続きませんでした。バブルが1990年代に崩壊し、労働環境が一気に悪化しました。本来労働者の利益を守るはずの労働組合が、資本とそれまでの良好な関係から闘うことができず、このような状況に陥っても労働運動は盛り上がることはありませんでした。やはり今の私より上の世代から70代前半の方を見ると、労働組合を経験してきた人でも労働環境が悪くなっても会社とは戦えない、「会社あっての俺たち」という人が多いような気がします。状況的に資本家と協調するような状況の時代を過ごされたのでしょう。その時代背景を見れば、ある意味そうなるのも分かります。やはり人は、過ごした時代の影響から考え方は形成されるものだと思います。家庭環境が子供の人格を形成するというのと同じように。

 近年は労働組合の組織率に、低い世代を中心に労働環境が悪化しています。国家公務員の30代から40代半ばまでの採用を打ち出したというニュースが最近ありましたが、雇用されるのはほんの一握りにも満たない人数で、その世代の雇用安定にはまだまだ時間が掛かります。

 やはり私は、こういう日本の状況を考えると、これからの労働運動は、労働者全体の利益を守るようなものでなくてはならないということてす。

 誰だって自分の生活は安定させたいけれど、日本国にいる様々な形で働いている労働者のこと、立場も考えていかないと、結局は日本の安定、そして自分の安定にもつながっていきません。

 2017年の暮れ、県の労働委員会からはついに「原職復帰」命令が出て、経営者からも出社命令が出て、懲戒解雇された私は年が明けた1月に、社員として復帰することになります。

 でも、復帰の日を過ぎても分会長は職場に見当たらない・・・。そんな状況が始まっていました。

 出勤を命じられた場所は会社社屋ではなく、会社近くの建物の一室だったのです。

 正直ここまで来て耐えるというほどのものではなかったのですが、会社の社員として誰もいないマンションの一室に通勤し、コツコツと仕事を始めることになったのです。職場の社屋ではない近くのマンションの一室で。しかし労働者とはどういうものか、私は同じ労働者に示したい気持ちでいっぱいでした。

 幸いなことに私に対し否定的な言葉も聞こえてきませんでした。それが頑張れる原動力にもなりました。

 そしてどんな状況でも、労働者として誇りをもって労働ができる幸せをこの時、感じていました。

 でも、これは原職復帰ではなく労働委員会の命令には反していました・・・。

 

 高裁でも同時期に「解雇無効」がすんなり出でいました。

 しかし、まだまだ原職復帰の闘争は続くことになります・・・。

 

子育て世代は!?前代未聞の小中高の一斉休校で北上京だんご分会長として本日感じたこと

 今日はシリーズで書いている懲戒解雇、復帰までの道のりの路線をお休みして、今日2020年2月28日、早朝舞い込んできた、新型肺炎コロナウイルスに対処した小学校、中学校、高校の約1か月間の全国一斉休校について思ったことを書かせていただきます。

 まず率直な意見としては、私は休校策には一定評価はしています。その理由ですが、①子供を最優先した考えがあること。②全国一斉で、同じ考えの元、行われること。このコロナウイルスが拡散している今、全国統一でやる価値はあると思います。日本は子供のことを思い、こんなことができるんだというのは、海外に対しても誇れることです。私は子供ありきの世の中、子供ありきの日本、そういう意思がこの日本に薄れてきていると感じていました。今の社会が子供ありきというのが土台にない、私はそう思っています。私はそういったことに不満を感じていました。

 地域活性化、最近はよく聞く言葉で、それに絡めたイベントは昔より増えたと感じます。地域住民が触れ合う、協力し合う、そういう意識が芽生える土壌には、子供の存在は欠かせません。子供がいるから知らない家庭同士が仲良くなれる、協力し合って地域を盛り上げたい、そういう気持ちになのではないかと感じます。私は昨年中学になった息子が小学生時代は、小学校の父親有志で作るおやじの会で一時期活動していましたが、子供は地域の宝だと思っていましたし、どんな子供にも平等に接していました。

 そんな私ですから、私は子供なんか作らない、社会が良くなる活動をしていくんだという人をたまに見かけると、何言ってんですか?と、子供を無視してどのように社会を良くしていくんですか?、自己満足の活動ですか?そう言いたくなります。まあ自己満足というのは少々言いすぎですが。日本が良くなるためには、どうしたって将来を担う子供の存在を忘れてはならないと思います。

 いつしか日本という国は、平気で非正規労働者契約社員という期限付きの労働者を増やす国になりました。労働者よりも資本家が重視される日本になってしまいました。

 今回の全国一斉の休校、それ自体は先ほど申した通り私は評価しているのですが、しかし・・・、共働きで小学校の低学年がいる家庭であれば、やはり長い期間、家においておくのは親としては気が引けるところでしょう。そういった国の休校に対する不満が本日は多く出てきていますね。子供を感染から避けさせるため自宅待機させる、その考えは悪くありません、しかしながらそれによって生まれる共働きの親の負担はどうするのでしょう。その部分が日頃、まったく考えられもせずにここまできてしまった日本なのです。共働きしなければ家計が成り立たない方がたくさんいるのに、今回のようなとき、それに対する対処がまったくないわけです。このことは日本の盲点だったと私は強く思います。少子高齢化が進み、子供ありきの日本ではなくなってきている、それが今回噴出した問題となってしまっています。ですから全国一斉休校には、欠点があったともいえるでしょう。

 私は労働組合の活動として、将来的にはその部分、労働者と子供、その2つに関連する問題について、クローズアップしていきたいと考えています。日本に光明が差すには資本家よりも労働者の方に利益が来るようにしなければなりませんが、お互いに助け合っていこうという精神は、子供がいる同志だと格段にそういう意識が上がっていきます。もう6年以上前の話になりますが、私の子供が保育園にいるとき、迎えに行くとヤンキーっぽい男性が、すごく子供に気を使い、また親同士である私に対しても、心のこもった挨拶をいつもしてくれました。勢いで子供を作った方かもしれないのですが、子供ができれば自分が子供ではいられなくなります。子供に大人にさせられるのです。どんな人だってそうだと思います。

 ですから非正規社員増大なんて、もっても他だと私は思っています。男性がそういう状態で家庭、子供が持てますかと。大学を卒業しても非正規になり、30歳くらいになっても親元から離れない・・・、そういう人と、元はヤンキーでも子育てに頑張り周りにも気を使える人間になっている人、どっちの人間が多くなった方がこの日本は良くなります?答えは明らかでしょう。非正規で正社員になれないから私はもう家庭はいい・・・子供はいい・・・、独り身で友人と楽しく生きていきたい・・・・若い人たちがそういう考えになっていくことも、私は懸念しているところでもあります。

 今回の小、中、高、一斉休校、安部首相が決断を出したわけですが、やはり安部首相からは子供を思う気持ちは伝わってきません。政府は初期の段階で失態を犯しています。中国人観光客を早い段階でシャットアウトしなかったこと。その後ろめたさがあるので、今回の断端な判断を下したとしか私には思えないのです。数日前に北海道知事が先陣を切って道内休校を発表して大衆から評価を得たため、やるべきだと突き進んだということも思われます。結局のところ評価を得るため、そういう意味合いに感じでなりません。もし昭恵夫人に子供がいたら、一斉休校を行うことによって生じる問題について、当事者的な立場で考えられたのにと思います。

 来週から子を持つ共働きの家庭にどんな変化が訪れるのでしょう・・・。

 学校関係者は教育者という誇りをもって、家庭で生活する子供の立場になって、行動を起こしていくのでしょうか・・・。私はそこにも注目しています。国の策に立場上黙って従うか、それとも部活さえできない児童、生徒の立場になって物事を考えられるか?

 

 そして、企業は子育て世代を抱える労働者をどんな目で見るのでしょうか・・・。

 

 日本全国の子供たちが家庭待機という前代未聞の事態です。

 日本がこんなに子供のために足並みをそろえられること、それはある意味、世界に誇れることです。しかし、名実ともに誇れるのか?私たちはそこの部分を深く考えるべきでしょう。

 労働組合とて、賃金交渉等の経済闘争から脱皮し、社会を支えている労働者としても誇りを持ち、子育て家庭に起きる支障についての問題提起はしていくべきだと思っています。

 子供の保護者の働き方改革、このことを考えるような状況下に置かれた人物が、今まで現れなかったことは残念です。労働組合は現在、組織率が下がっており、家庭を大事にしている人は組合活動をしない傾向にあり、また、その逆のパターンもあると私は思っています。ですからこういった問題はなかなか話が進まないところはありますが、今後、私はそのような意識ある皆さんと、子供の保護者の働き方改革については考えていきたいと本日感じました。

 

ずんだ・もちこのデザインをした「やなせたかし」さんの戦争体験から来る思い

 東北の高速道路のSAに立ち寄ると、顔が大きな丸で描かれたキャラクターが二人並んだ絵が入った、冷凍物のお土産品のショーケースに入れている緑色の箱を見かけることがあると思います。東北を代表するお土産品「ずんだ餅」が入った北上京だんごの商品です。そう、高速道路のSAでもお土産品として北上京だんごの商品はあります。社長とアンパンマンの作者である、やなせたかしさんとの人を介したつながりがあり、キャラクターデザイン依頼が実現して、やなせさんがデザインしたキャラクターが箱に入っています。現在ではやなせたかしさんもお亡くなりになられていますが、94歳まで元気で活躍されていた漫画家でした。

 前回までの解雇撤回闘争の話しは、2017年の7月まで進んでいると思います。なぜ今、急にやなせたかしさんを話し出したのか? 私は、やなせさんの過去に対して共感できるところがあり、その思いは、この日本を支え、バブル崩壊後もまじめに働く労働者は、もっと誇りを持って働いていいという思いにつながるところがあります。そんなやなせたかしさんデザインのキャラクターが主力商品に入っていることは、今、従業員としての立場で言わせてもらいますが、大変ありがたく思う次第です。

 2017年7月下旬、解雇撤回闘争の最中、仙台地裁から出された判決は「解雇無効」という判決でありました。その判決の要点となるのが「(解雇理由にあたる行為について)被告の就業規則に違反することを理由に懲戒解雇を確定的に通知するはずであるところ、被告は、これに反して、前記認定事実のとおり、原告に対して本件解雇を通知した際に、同人に対して今後の組合活動の中止及び〇〇(合同労働組合)からの脱退を求め、これと本件解雇の二者択一を執拗に迫り、解雇通知書を原告に交付する際にも同趣旨の発言を重ねたものであり、これらの行為は被告が主張する解雇理由と整合するものではないことからすれば、結局、本件解雇は、原告が組合に所属して組合活動を行っていることを主たる理由としたものといわざるをえないから、被告の主張は採用できない。」という内容でした。この判決の結果はNHK仙台の地方のニュースでも報道され、その報道の中でも労働組合活動が理由の解雇といわざるを得ない、というような内容が語られました。

 会社はもうこの時点で私の解雇無効を認めざるを得ませんでした。労働者が主体となった労働組合に対し、会社が介入し支配することは法律上あってはならないことです。しかも組合活動を不満に思い、それを理由に解雇するというようなことはもっての他です。もはや状況から見ても、会社は裁判闘争でも言い逃れはできませんでした。会社の誹謗中傷、機密情報が暴露されたという思いで強気になったのだと思われますが、労基法違反を改善のため訴え、しかもその内容は真実であり、普通に考えてどこにも誹謗中傷、外部に対しての機密情報が暴露などは見当たらないのです。

 私はこのように感覚がマヒしてしまっている会社、あたりまえのことがあたりまえに行われていない点がある会社を、労働者の力で、どうしても変えなければならない・・・と、解雇撤回闘争中も継続して思っていました。そのためには自分も痛みを伴い、傷口はなかなか治らないかもしれない。それでも、このまま引き下がったらこの日本において、労働者が搾取されている現実、その構図に対して問題提起が出来ない・・・、そう思っていました。会社の都合で労働者を搾取しているという現実は、消費低迷、少子高齢化など、いろいろなところに表れ、ひずみがこの社会に出ています。政府が資本家側の考えを受けれ、小泉政権で非正規雇用が増大し、その付けが今、出ており、今のままでは多くの若者の将来に光明が差すことはありません。

 ここで、このブログの題目についてお話ししますが、「夜明けのクリスタルロード」、その題目は実は私が職場復帰したので私に対しての夜明けではなく、現在置かれている日本の労働者がこれから歩む道に、光明が差すような道を作らなければならないという思いで、そういう思いが題目になっています。自分に対して「夜明けのクリスタルロード」と題目を付けたのだとしたら、個別的な考えの元、組合活動をしてるということにもなり、自己満足もいいところで、闘争に光明が差し、分会長としても満足している、もう明るい光が差したのだからもう活動もいいのではないか・・・そういうことになってしまいます。しかし、自分はまだまだ、そんな段階には達していません。

 またブログは多くの大衆が見るものです。私の考えはブログで話すわけですが、私が私が・・・と言っていたら、労働組合の分会長なんてする資格はありません。個人的に経営者と交渉すればいいということになってしまいます。

 そこで、やなせたかしさんのお話しです。人気アニメ「アンパンマン」の主人公は、自分の顔をちぎって人に食べさせる、というのがあります。そのようなヒーローが誕生した背景には、やなせたかしさんの戦争体験がありました。青年時代6年間軍隊で過ごしたやなせさんは、終戦間近、上海戦争に備え1000キロの行軍をしました。そして飢えに苦しみました・・・。この体験から、やなせさんは痛切に思ったことがあったといいます。

「この社会で一番憎悪すべきものは戦争だ。絶対にしてはいけない」「今の日本では飢えが身近にないので、実感がわきにくいかもしれない。だが、しばらく何も食べないでいれば、飢えのつらさは体験できる。本当に飢えているときには、どんな大金より、一切れのパン、一杯のスープのほうがすっとうれしい」(やなせたかし・明日をひらく言葉<PHP文庫>)。

 戦争とそれによる飢えは、それまでの正論さえもひっくりかえってしまいました。「正義は不安定なもので、ある日突然逆転する」「正義のための戦いなんてどこにもないのだ」(やなせたかし・明日をひらく言葉<PHP文庫>)。

 しかし一方では、逆転しない正義もあったようです。それが献身と愛、弱者を助けること・・・、自分の身を削って人を助けるアンパンマンには、そんなやなせさんの思いが凝縮されています。

「正義を行おうとすれば、自分も深く傷つくものだ。でもそういう捨て身、献身の心なくしては、正義は決して行えない」「困っている人のために愛と勇気をふるって、ただ手を差しべるということなのだ」(やなせたかし・明日をひらく言葉<PHP文庫>)。

 また(私が正義について語るなら<ポプラ社>)では、アンパンマンを書いたのは「本当の正義」を伝えたかったからということが述べられています。アンパンマンはヒーローだが情けない。弱点もある。「正義を行う人は非常に強い人かというと、そうではないんですね。我々と同じ弱い人なんです」(私が正義について語るなら<ポプラ社>)。大変な名言です。弱い部分があるから弱い人の気持ちも分かる、考えてみればそのような部分が自分にないと、同じような境遇の人の気持ちは分からないと思います。こんな私だからこそ正論を言い闘っていけるのか?、と感じ、自己卑下に満ち満ちていた私は、やなせさんの言葉に心が洗われていきました。能力、力量は関係ない、労働者全体のことを思う気持ちが大切・・・、そうなんだよな、そうだからこそ私は闘えるんだ・・・、私だからこそ闘えるんだ・・・、そういう思いが強くなっていきました。

 裁判所から「解雇無効」の判決が出て、報道もされ、会社にはすぐさま結果が伝わりました。そして何と、今度は高裁への控訴を会社はすぐさましたのでした。

 会社はあらかも新しい事実をつかんだと言わんばかりの勢いで控訴した感じですが、しかしこちらから見れば、新たなる事実などあるはずもありません。裁判の論点からそれたあまり意味のない事項についてつかめただけ、という感じがそのときしました。裁判闘争を続けるということは、それだけ解雇中の私の給料の未払い金も増えるということになります。そのようなリスクまであるのに、その上でも闘争を続ける会社を見て、今現在の時点でも客観状況が会社は分らないのか!と、感じました。本当に労働者のことを考えているのなら、この時点で、自分たちが勝つという主観的な思いは捨てなければならなかったのではないでしょうか。裁判闘争とは別に行われていた労働委員会での審問(証人尋問)においても、論点の核心の部分について答えられなかったはずです。解雇理由の証拠など初めからあるはずがないのです。

 もはや労働者と資本家という構図の中での階級闘争に、闘争も変化していました。労働者には労働をして社会を支えているという誇りがある、もっと労働者の方に利益が回ってもいいはずだ・・・という信念での活動になっていました。ですから、高裁に控訴されても、組合としてはとことん闘う姿勢を示し、私の感情も同じ思いでありました。

 会社が高裁に控訴したことにより、私が実質無職状態での争いは、まだまだ続けられる状況になりました。私はアンパンマンのようになれるのか・・・、痛みを伴い続けても闘えるのか?、解雇撤回闘争が長引けば、私自身の心構えも、より一層、問われて行きます。でも正論を通そうとするとき、痛みは伴うもの、すでに会社と闘っている私は、そのことが少なからず実感できていました。決して最強ではないが、身近な人の幸せを願い、困った人を助けることこそ正義、アンパンマンの歌にもある通り一貫して「愛と勇気」を伝えたアンパンマンを生み出したやなせたかしさん、このような私でも、やなせたかしさんに教えられたことにより、能力・力量を気にせず解雇中も闘争に頑張ることができました。そんなやなせさんがデザインしたずんだ・もちこキャラクターが「ずんだ餅」に描かれているということは、北上京だんごの従業員として、本当に誇りに思います。やなせさんの思いにはまだ足元にも及ばない、私の痛みでしたが・・・。

 2017年8月、地裁での「解雇無効」判決後、解雇撤退闘争は継続され、新たなる展開が始まっていました・・・。

労働者として誇りを持ちたかった

 懲戒解雇された2016年11月、地裁にて行われた労働審判にて、すでに解雇無効の審判が出されました。ここで経営者は資本家特有の感情が働いてしまったのではないかと思われます。審判の結果は自らの胸に手を当ててみれば当然の結果であるということに気付いていたはずなのですが・・・。でも会社側は解雇撤回闘争の引き延ばしは必須だったのでしょうか?

 資本家には資本家として、利潤を拡大して、会社を拡大しなければならないという立場があります。ある意味それは自然なことです。

 給料をもらって生活をしている労働者という立場から、ここであきらめ、会社に媚びるというのも復帰の一つの手です。労働者として安心して働ける職場、労働者の利益向上を掲げても、自分の私的な生活が、会社との闘争が長引くと脅かされて行きます。もともと労働組合というのは経済要求から始まるところが多いようです。その経済的な要求が通るどころか逆に脅かされてしまうような状況になる可能性も闘争には絡んでいます。

 実はここに労働組合としての経済闘争の限界性が表れています。労働者の利益の向上というのは私的な欲求から出発しているため、そういった給料をどうにかしてほしい等、経済要求のための闘争になってしまいます。そういう思いでは会社が解雇撤回闘争を長引かせたとき、こちらの方が続かなくなっていくでしょう。

 職場を改革する、このままではだめだ、言葉で言うのは簡単です。でも会社から自分が追い込まれた時、そのような思いを維持できるか? その時、そのような言葉を発したのは建前なのか?本音なのか?が分かります。

 私は今、考えると本当に運がいい人間でした。会社・労働者にこのままでいいのかと問題を提起して、その後、数か月で解雇になりました。もう、解雇撤回闘争に打ち込むしかなかったのです。一度、懲戒解雇されて、そのままだったら傷の入った体です。転職がまもできるかどうかも分かりません。だから一生懸命、解雇撤回闘争をするしかなかったのです。しかしその中で労働法や現在の日本が置かれている状況、裁判所のこと、弁護士さんとの人脈、いろいろなことが学べ、また人脈も広がっていきました。それは一生の財産となりました。人間、こういうときだからこそ謙虚に学ぶこともできるものです。そのような環境を作り出すことが出来た私は、ある意味幸せでした。ピンチをチャンスに切り替えることはできる、この解雇撤回闘争を通して、私はそのようなことが実感できました。ピンチをチャンスというそういう言い方がいいのかどうか分かりませんが、少なくとも転換できることは実感ができました。そういう人生を歩ませてくれた環境にいたことは、本当にありがたかったことです。私の状況をそっと見守ってくれた妻にも感謝しきれないです。

 経営者がいて、また労働組合の委員長までもが経営者側に付くという状態の労働組合があります。今の日本が置かれた状況を学習してみると、政府までも労働者より、資本家や資本家側に媚びる労働組合の方の考えを聴く構造になっているようです。ですからいつまでたっても非正規雇用が多い問題はなくなりません。非正規雇用を多くするということは、資本家側から見れば利潤を拡大する一つの要因となっています。そのような状態にこそ、私達労働者は風穴を開けるべきだと思います。でも経済闘争、つまり給料がどうのこうのという欲求が土台にある活動していたら、そのような風穴も永遠に開けられないでしょう。

 私は前回、解雇後に体が解雇前と違うというようなことを書きました。日々、体を動かし長年働いてきた労働力を、会社にささげるのが当たり前、労働者から会社に言っても無駄だ、労働者にとってそれが当たり前なんだ・・・、いかにそう思っていたかが分かりました。体を酷使しているという実感さえも持てない状況でいました。あっ、そうだったのかというのは実質、無職状態になって分かったことです。

 解雇撤回闘争はこのように、私にいろいろなことを気づかせ、いろいろなことを教えてくれました。裁判所で行われた労働審判の結果に対しての異議申し立ては、会社側の立場を考えれば自然な流れでした。ですから気持ちが折れるようなことも起きませんでした。

 経営者としての支配構造の中に経営者もいます。会社に戻したくないというのも資本家の法則をひも解くと、そのようになってきます。

 高度経済成長期は、結婚も早かったと思います。しかし今、そのような余裕が減殺に日本において中小企業にあるのですか?と私は思います。私は今、家庭を持てて地域活動もできて、恵まれていると思っています。しかし、現代ではそのようにさせてくれない社会構造が、この日本にはあります。

  この時期、自らの存在は労働者全体のことを考えているのか?と、自問自答を続ける日々でした。

 昼間の図書館にて丸1日読書スペースで黙々学習や計画を立てていたり、河原の堤防でジョギングしていたり、バーベルを部屋で上げていたり、様々な場面で、個人的な思いで労働組合をやってはいけない、そういう自分になっていないか?と確認していたのです。

 

 

 

組合の分会長で社員ではない期間

 懲戒解雇により実質的な解雇状態になり、仙台地裁で行われた労働審判労働審判とは3か月程度で終了する短期的な裁判のようなものですが、審判が出されても異議申し立ては出来て、審判を出すより和解に持ち込む方が異議申し立ては無くなるので、裁判官も和解の方向に持っていくことが労働審判では多いようです。

 しかし、1回目にして、会社側が席を外している時に、裁判官から言われる言葉からは感じ取れるものがありました。

 通常の裁判とは違い、裁判官からの距離は初回から近距離でした。裁判官は女性でしたがその胸の内は、感情を表さなくとも、顔、話し方のトーンから感じ取れるものがありました。やはり裁判官も私たちと同じ一人の人間です。近距離からこちらが冷静に女性裁判官のしぐさを見ていれば、現在、何を思い、感じているのか、実に良く伝わって来ます。ただ、こう思っていたのではという詳しいことはここでは言わず、私の心の中にしまっておきます。状況から察していただければ幸いです。

  会社からは、闘争を続けようとする意志が感じられました。会社側にも会社側の思いがある、そうしなければならない事情はあると私は思います。というのは会社とは公共の機関とか慈善事業の組織ではなく、利潤を追求し、組織を拡大していななければならないという宿命があります。またバブルが崩壊し、特に今、言えることなのですが、市場競争に勝たなければならないというのがあります。そんな中、会社の利益に対する割合の中で、競争のために新しい設備投資が必要になってきます。で、損益計算上で何が削れるのか?ということになってきます。

 そしてそのような思いの会社はどういう方向に向かうか?と言えば、労働条件向上どころか、その逆の方向に突き進む傾向になっていくものと思うんです。決められた労働時間内で昨年より多くの仕事を労働者にやってもらう、そのような流れに、普通はなっていくと思います。事実、企業の売上予算というのは前年より落ちるというのはあり得ません。前年の何%かを増やさなければなりません。しかし、それによって年々給料が上がっていくという本来、日本にあった給料体系は現在は崩壊しています。私は長年働く中で、その部分はそういうもんだという認識は以前から持っています。でもそこで問題なのが、そういう体制では、私のような年代が経験してきた人生は、今の若い人たちは送れないということです。

 人はこの世に生命を受け、親が体験してきた親子関係という体験を、多くの人が体験するべきだと、この歳になって感じます。親が体験してきたことを、歳が上がるにつれ自分も体験してきたからこそ、今の自分があると私は思っています。それは子供が通う小学校のおやじ倶楽部に参加して、親になるとみんなこう変わるんだということを見せつけられ、感じたことです。

 予算が上がり年々、過密になる労働に対して、同時に労働条件を向上することは、今の日本の企業はなかなか行われていないという現実があります。それは会社側に立ってみれば答えは出てきます。でもそれでいいのか・・? と私は感じていたのです。

 解雇撤回闘争に入り、北上京だんごの真面目な労働者のことが頭をよぎり、私の中の闘争心が前にも増して大きくなっていきました。

 でも体調面では・・・、年々過密になりジャカジャカ動かしていた体の疲労もなくなっていましたが、同時に体をもっと動かさなければ・・・という風にもなっていました。いかに年々体の酷使が増していったのかこのとき分かりましたが、反面体が楽になりすぎて、これでは体力が落ちてまずいという思いも感じ、ジョギングを始めたわけです。

 平日の日中、近くの河原の堤防から神社の階段を上がり仙台の市街を一望、50代の労働者であった出世街道から外れた男には、極めて新鮮な体験でありました。自分の行動には後悔も何もありません。ですから清々しい気持ちにもこの時期なっていました。ただただ、ジョギング中の周りの自然に対し新鮮な感動を覚えていました。初夏にかけては緑も本当にきれいで、風も爽やかでした。神道の信仰者ではありませんが、階段を上がり鈴を鳴らして、手を合わせていました。心なしか祭壇の中の神鏡が輝いて見えました。神社の杜の間から街中の高層ビルが見えました。ゆったりとした時間が流れる一方で、高層ビルの中の人達は過密労働に追われているのか・・・、そんなことが頭を過ると、一瞬、心が曇りました。

 労働者に対して、会社は私の解雇をどう説明していたのでしょう・・・。この間、闘争の状況の説明はあえてしなかったのでしょうか・・・。社内の空気は、私は戻れるわけがないという感じなのだったのかもしれません。

 しかし、すでに労働委員会の方での会社の主張も矛盾が出ていました・・・。実に、この状況は2016年のことです。この時点で会社が闘争を終了させていれば、会社の無駄な労力はなくなったはずなのですが・・・。

 会社なんて変わるわけはないともし思ったら、そこでそれこそ労働組合活動は止まってしまいます。でも労働者を私も長年やってきましたが、労働者の方も組織、自分の立場上、そう思うのは当たり前のことで、労働者の思いはその通り、別におかしくなく、普通の感情です。私自身が長年、会社から給料をもらっている、会社の従業員である、おかしい部分があっても、これは仕方がないことなんだと思っていきました。特に私は声をなかなか上げられない人間の部類に入ります。

 でも・・・・、経営者側から見れば、私が不満に感じる状況が形成さることは、資本家の行動としては、日本では行われやすい状況になっているとも言えます。経営維持の一つの法則にもなっている部分もあるからです。

 会社がおかしい、違法にならないかと、物事、こちらの見えている部分から一方的に主張すると、墓穴を掘ることもあります。でも言っていくことを言っていかなければ、労働者の利益は向上しません。特に今の日本は過去、味わったことがないような少子高齢化で大変な状況になりつつあるわけですから、それを少なからずどうにかしたいという思いが私にはあります。私は今の収入でもたまたま家庭を持てただけで、そうでない人はたくさんいると思っています。

 分会長は復帰できない・・・、また私が以前思っていた、経営者に物申すなんてナンセンス・・・、そのようなことを覆す1つの大きな出来事が2016年11月1日に起きました。

 裁判所から審判が下り「解雇無効」・・・。