SENDAI ORIGIN

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休校時の子供たちの心身と状況に対処する政府の力量

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 コロナ禍で3か月もの間、長期休校を余儀なくされた子供たち。最近、報道に出ていたのですが、NTTデータが2年間の生徒・学生の学校に関するツイート約4億件を分析したところ、6月学校が再開して以降、「疲れ」「だるい」といった投稿が急増していることが分かったそうです。突然の一斉休校、部活もない自粛期間が長く続き、学校が再開し、しかし今度は夏休み期間も短くなった今、深刻なストレスにさらされている子供たちがいる、見守り、対応する必要があるだろう、簡潔に言うと、そのような内容が報道されています。

 私は自分の中で心配されていたことが、現実に起こってしまった・・・と感じています。本来であれば様々な体験をして成長していく子供たちが、3か月も自宅待機させられてしまったこと、この事実を私達は重く感じなければならないのではないかと思っています。

 いやいやそんなこと言ったって、感染から子供を守らなければならなかった・・・、休校は当然という方もいるでしょう。

 以前、お話したことですが、私は2月下旬に子供を長期学校に行かせないことに対して、単に子供を休ませればいいという感覚に対し、問題視したことがあります。そのことを語った記事は次のここ↓を開いていただければ見れます。

 

morinomiyakotyanneru.hatenablog.jp

  私がなぜ長期、子供を休ませることに対して異論を唱えたのか? ということに対して、根拠の部分をこれからお話しします。子供自身の問題として、実は思うところが多々あったのです。

 子供を感染から守る、その元での休校になったわけですが、一面的には感染対策として最良の方法と言えます。しかし政府がそのようなことを決断したその背景には、何があるのでしょうか? 学校が休校に入ったのは3月初旬でした。その時期と言うのはまだ2020年にオリンピックが開催される前提の下での動きがあり、安倍首相もコロナ感染撲滅には必死だったと言えます。その思いが顕著に表れたのが、学校一斉休校だったのではないでしょうか。

 この決断に関しては、誰もが度肝を抜いたはずです。そこまでほんとうにやるの!?と。そういった力強い決断には、オリンピックを何としてでも開催という執念を感じてしまいます。今年に入ってそのことが前提にあり、判断の遅れが起こってしまった事例が多々あったのではないでしょうか?

 子供を自宅待機させる、このことについて、それによってどんな問題が起きるのか? それに関しても以前少しブログで書きました。

 

morinomiyakotyanneru.hatenablog.jp

 労働組合の分会長としての観点からの話しが主体になっていますが、ただ、それだけではなく、私は学校に行かなくなることが日常になることにより、心身の変化、また不調について、心配していたところがあります。というのは私自身、1年半もの間、会社から懲戒解雇され家にいる時間が長かった時期がありました。復帰する強い意志があったため、別なところで務めたりすることもありませんでした。そういう行動を取ると、実際の職場復帰にも不利になるからです。

 しかし、職場に毎日、行かない生活は、心身の変化を1か月で自分でも感じることとになります。これはいかんと思い、節度ある生活を心がけ、図書館の閲覧スペースに1日中いて新しいことを吸収しまくったり、でもそれでは体力の方が落ちるので、定期的なジョギングもその時期に始めました。

 そのとき感じたのは、人間、常に何かに打ち込む姿勢がないと、精神が堕落し、また体力も落ち、体調も不調になっていくということでした。それまでは、なんとなくそのようなことは言葉では分かっていましたが、実際に自分が職場に行けないことを体験し、1か月でこれでは駄目だ、自分が駄目になってしまう・・・と感じたのです。

 正にそのことを感じたのが1か月目でした。ですからそのような私の体験から、子供たちを夏休みよりも長い期間、学校に行かせない、部活もさせない、塾も自粛、などという制限を与えてしまうのは本当に心配だったのです。今、初めてその思いを明かすことになりますが。

 大人だって3か月も職場を離れれば、感覚を取り戻すのに大変なはずです。それを平然と子供たちにやらせてしまうのか・・・、本当にそれで子供たちの心身は大丈夫なのか?、そう私は学校休校が決まり、また長引くにつれ、思っていたことなのです。

 そんな私でしたので、半年間も学校に行かせない事態を引き起こす9月入学案は大反対でした。子供たちのことを考えているようで考えていない知事もいかがなものかと思っていました。知事の内心には何があるのか?その内心を分析した話しは下記↓を開いてください。

morinomiyakotyanneru.hatenablog.jp

 

 子供たちを半年もの間、学校に行かせないという9月入学案は消滅して本当に良かったと思います。学校を休校する際に私が安部総理大臣に申したかったことは、決断する背景があるのは分かるが、児童・生徒のことが良く分かる専門家に、それを行ったときに生じる問題について、よく聞くことが大切だったのではないかということです。また、9月入学案を打ち出した宮城県知事、それに共感を示した東京都知事大阪府知事も同様です。こういう問題が生じるかもしれない・・・スクールカウンセラー等の人の話しに共感していく・・・、決断を出すときに、いやまて、専門家に話しを聞く、その当事者の気持ちに寄り添う、私はそこに、一般大衆が大臣を評価するか否かのキーポイントがあるように思います。実際にそういう姿勢に欠ける部分があるので、アベノマスク等を見ても政策がズレているように感じてしまうのです。

 実際に人の話しに共感できるかは、それこそ人の要素にも絡んできます。

 そして判断に自分を取り巻いている背景があるならば、その背景を重視して考えるか、それとも道理を通す行動ができるか、そこにその後の状況の変化が隠されていると思います。

 緊急事態宣発令、休業要請、学校休校、それを経ても7月末時点で、逆に感染拡大が心配される状況になっている現実は、解決しようという思いの中に解決するための分析、専門家の話しに共感する心、さらに分析していき本当に良い状況を生み出していくこと、そのような行動が安部首相にも足りなかったのではないか・・・と感じてしまいます。そういう行動が安部首相に見えてきたとき、我々は安心感が生まれ、首相に期待の念が生まれものと思います。

 学校休校は今どうのこうのといっても、結果的には終わったことではあります。おそらく全国一切休校は今後、起こりえないでしょう。学習の遅れ等も含め、マイナスの部分、その代償があまりにも大きかったという現実が残されたからです。また感染が拡大したからといって今、全国一律に休校しても感染が収まる見込みも見いだせないため、休校する意味がなくなってしまっています。

 今、子供たちがマスクをしながらでも学校に通う日常が再開し、感染が収まる見込みはないものの、良かったと私は感じています。ただ思うことは、長期休校により3か月も学校に生かせない状況を大人たちが作ってしまったこと。それにより心身の不調を訴える子供がいたこと、この事実は重く受け止めなければなりません。

 今回のコロナ禍において、物事の考え方が現実から出発しないと駄目だということ、また、本音と建前が履媚びる日本であること、そのことが浮き彫りにされてしまったことで、私達が考えさせられることが多かったということです。