SENDAI ORIGIN

YouTubeチャンネル「SENDAI ORIJIN」制作者のブログ

日本に浸透する経営原則では家庭・子育てに落差が生じ、中流家庭も創出しにくい  

 私は子供時代、また青年期もアニメが好きでした。もしかしてヲタクと言われる元祖だったのかもしれません。高校生時代は雑誌アニメージュアニメディアを読みふける当時としては異質な存在でした。数年前に本屋さんで雑誌アニメディアを見かけましたが、今でもあるのでしょうか?

 現在ではアニメ市場も昔と比べ物にならないくらい拡大し、アニメ業界にとってはいい時代になったと感じています。邦画にしてもアニメ分野は欠かせなくなりました。私達の時代では最近、テレビドラマの主題歌にリメイクでなっていますが「男の勲章」という歌のごとく、硬派が時代の最先端を行っており、ヲタクは端の方を歩く存在でした。

 しかしながら時代は変わったものです。日本を震撼させた京都アニメーションの放火殺人事件に見られるように、犯罪自体もヲタクが起こす時代となってしまいました。

 高校生時代は人目を気にして雑誌アニメディアを買っていた自分でしたが、懐かしくも感じられます。私は、勉強の方はまるで駄目だったのですが、文章を書くことは好きでした。その当時、創刊も間のない雑誌アニメディアで、第1回アニメ原作コンクールなるものがありました。よっしゃ、と言うことで半月掛けて創作したものをアニメディアに送ってみました。そうしたら1000余名の内の中で最終審査まで残り、名前が雑誌に出ることになります。創刊後1年くらいの雑誌アニメディア、古本屋で見かけた方はいらっしゃらないでしょうか? いたらぜひコメントして頂きたく思います。でも35年以上前のアニメディアですから、まさかコメントは来るなんてことはないと思っていますが(笑)。

 35年以上前からアニメ雑誌の記事の主流は「機動戦士ガンダム」でした。当然のごとく私もガンダムファンでした。数年前に最初のガンダムのキャラクターが登場する「ORIJIN」が劇場公開されましたが、やはりそれは見てしまいました。不思議な感じがしたのはキャラクターが10代なのに、同じ世代の感覚で見入ってしまうということです。時代は変わってもキャラクターが当時のままだと、やはり感情移入してしまうわけです。ガンダムに関しては別な機会に掘り下げて話しを出したいと思っています。アニメ・宇宙戦争モビルスーツ、表面的にみればそのようなもので塗り固められており、くだらない俗物と大人も油断しがちになってしまいますが、それこそ私がたびたびいう本音と建前、言葉と内心が違う大人の汚さ・エゴ、そういうものが詰め込まれており、そういったものを力でねじ伏せようとした、学生運動体験者の制作スタッフでなければ作れなかったストーリー展開であったと思います。

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初期のガンダムでは国名になった親の娘であることを隠し偽名を使っていたアルテイシア

 そのガンダム以前に宇宙戦争物として「宇宙戦艦ヤマト」がありました。小学生時代はこちらの方の大ファンでもありました。「宇宙戦艦ヤマト」はガンダムよりファンタジー感は比べ物にならないと思います。また登場キャラクターが何を考えているのかというのは単純であり、ガンダムの場合こういう環境だからこのキャラクターはこういう思考になる、でも建前では別なことを話すという奥深いものがありましたが、ヤマトにはそれがないので、大人になって見返して観れば、面白みも半減してしまいました。

 でも、小学生時代に観た「宇宙戦艦ヤマト」の中で、心に響く主人公である古代進が敵を壊滅させたときに言った言葉があります。でも大人になるにつれ、もうちょっと別な場面で言ってほしかったと思うようにもなることでもありましたが・・・。人類を脅かす異星人である敵は倒さなければならない・・・、その時に言うのではなく、同じ立場の地球人に対して言ってほしい言葉だなという思いに大人になるにつれ評価が変わってきたセリフでしたが、

「俺たちは・・・入学試験でも、入社試験でも勝つことがいいことだと教えられてきた。しかし、勝つ者がいれば負ける者がいる。負けたものはどうなる。負けたものには幸せになる権利はないというのか。俺はそれを考えたことがなかった・・・。」

というセリフです。

 スタッフ陣は劇中の名言にしたかったのでしょう。しかしせっかくの名言が、人類を脅かす敵を倒したときに発せられているのです。邪悪な暴力を振るう敵を倒すのは当たり前のことです。問題なのはこのセリフにある通り、人の要素をペーパーの結果だけで判断する、学力があるからいい職業に入り、役職も付き、世の中を支配する立場になっていくという、その先には何が見えるかというと、人を支配し富を得る層を、試験の良し悪しが判断材料になり、そこに人の人格、本来持っている良いところを無視して、社会が自ら作ってしまっているという点です。人を支配し富を得る層がいるということは、それ以外の支配される庶民もいるということです。

 人を支配し富を得る層の家庭の子供が恵まれた環境の中で、偏差値の高い大学に進み管理教育を受けるという、そのような人材を輩出する土壌に大学の方はなっていると思うのです。

 富裕層は自分達だけが高収入を得て、一方、庶民の中には一生かかっても正規の職員、社員になれない人間が今の時代増えているという問題、その行きつく先は邸宅を得て、子供に十二分にお金を掛けられる層と、結婚もままならない、結婚して子供を得ても一生持ち家も持てず、子供に対して十分な学習環境も作ってやれず大学にも行かせられないという層、それどころか自分自身の生活もままならないという層、そういう落差をたかがペーパー何枚かで作ってしまっているのです。

 私達はやはり大学の管理教育、その先にあるもの、そこも作り替えていかなければならないというところに行きつくはずです。

 現在、中小企業労働者は、汗水流して働き、本当はもっと利益配分されていいはずなのに、働いて利益を生み出している本当の利益の部分をもらっているのでしょうか。それを搾取しているのはエリートコースを歩んだ人たちなのではないでしょうか? 私達の住む日本は表面上、あたかも国民1億総中流家庭であるかのごとく装い、実態は子育ても十分な環境で出来ていない、貧困な家庭が多くなっているのではないでしょう。  

 「良いものをどんどん安く」というのがスローガンだったスーパーのダイエー帝国は、数年前に、なぜ消滅したのでしょう。弱い立場の中小の仕入れ業者に仕入価格を値切る、そうしてお客様に安く売るという手法で、一時期は帝国になるほど拡大していったのですが、労働者にも十分な給料の支払いもままならなくなった業者は、しびれを切らしてダイエーから手を引くか、適正な仕入れ価格を提示していったようです。弱い立場の生産工場を買いたたき、採算すれすれの低価格で納入させ、それを価格破壊のごとく消費者の気持ちを引き付けるような方法で収益を上げるという、こういう風に字系列的に示すと、人としてどうなのかというやり方が浮き上がってきます。

 今いる私の会社においても、旧ダイエーとの付き合いはありましたが、名刺にも「良いものをどんどん安く」という言葉が表示されていました。しかも私が今の会社に入社しダイエーを訪問した時は、上から目線の態度でした。見ていると役職者は一般の従業員に対しても、自分の立場を利用した頭ごなしの指示を言っていました。もともとそういった社風だったのでしょう・・・。

 以前あったスーパーのダイエー帝国の話しを例に取りましたが、弱いものを無視して、自分が富を得、自分の家庭だけに反映していくというやり方は、現代日本の縮図だと考えます。やはり工場で労働者が汗水流して生産した商品は、適正な価格で、中小企業労働者の利益と合致した価格で流通していかなければ、結果、落差が生じてきます。中小・零細企業の適正な企業活動を阻止する商法を大資本が持ってはならないと思います。その大資本のもとで働く役職者は、高学歴の人が多いと思われます。そのような方々は、日本の消費が上がっていくのにはどうしたらいいかと言うことに関し、考えたことはあるのでしょうか。中小・零細企業の労働者が、家庭・子供を持って生活できるようにならなければ、日本の消費は上がっていかないでしょう。なぜなら日本は中小・零細企業の方が大企業より圧倒的に多いからです。大企業は自ら事務用品一つに対しても経費を抑える方向に考え、中小・零細企業、工場、仕入れ業者との共存共栄を考えるべきなのです。また、そうはいっても中小・零細企業の方も無駄をなくし、働いている労働者の方に利益を還元するという精神は必要となってくるでしょう。

 日本はバブルが崩壊し、またリーマンショックを経てマイナス成長が続いています。当然のことながら経費の中で動かしやすい人件費を抑える方向に走り、当然のことながらそのしわ寄せは労働者に来ています。そしてその先に、消費低迷があることを忘れてはなりません。日本は今、金回りが悪い状況が続いています。1億総中流などと言う言葉は、当てはまらないのです。労働者はリストラの危険にもさらされ、いざという時のために消費どころか、貯蓄に回さざるを得ない状況が作られています。政府、資本家が1億総中流などという言葉をマスコミに言い流行らせたのでしょうか。事態はそのようにはなっておらず、共働きで幼稚園より保育所の需要が多く、待機者も増大、子育てもままならない状況が続いています。そしてそのような時代を反映した子供食堂が各地に発生しています。

 契約社員派遣社員、パートアルバイト、そのような非正規の人材が、皮肉にも正規の人材より社内に多い企業が増えているというのが日本の現実です。このような状況に対し、そこに何かしらのメスを入れなければ、次の世代を担う子供たちの間でも落差が生じます。但し状況だけ言って、どうにかしなければならないと、方向性も見いだせずに言っていても仕方ありません。掛け声だけの、無責任な政府みたいなことを言っていても仕方がありません。

 やはり、公正公明な日本を構築していかなければならないという評価が生まれ、その改革の方針として、企業の経営原則を改めなければならない、というところに行き着くのではないでしょうか・・・。