SENDAI ORIGIN

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ファーストガンダム劇場版3部作ラストメッセージに込められた真意

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マイクを通しては国民の感情を奮い立たせる発言をするギレン・ザビ

And now... in anticipation of your insight into the future

みなさん、この意味、分かりますか?

 初期のTV版、機動戦士ガンダムを劇場版3部作に再編集したものを、劇場公開したときに、最終作の最後に表示された、総監督、富野由悠季氏のメッセージです。私がこのメッセージを映画館で観たのはまだ10代の時でした。映画で横文字が最後流れるなんてカッコイイな・・・その時はそれくらいにしか思っていませんでした。

 その後にパンフレット等でその意味を知っても、ちょっとキザでカッコイイ・・・感覚的にはそれくらいでした。その意味とは?

「そして、今は皆様一人一人の未来の洞察力に期待します」

と、いった意味になります。

 当時、「endと表示するよりこれにしてみました」程度で、論理的に雑誌等でコメントを出す総監督、富野由悠季しては簡単な説明でした。

 今考えると、おそらく、この程度に言っておいた方が問題ないと思ったのでしょう・・・。最近ネットで、最後、なぜこのコメントだったかについて、「アニメなんか見ている場合じゃない、自分自身の人生を全うしなさい」と解釈した人がいます。その解釈はネットで検索すると上位に上がっています。・・・でもそれが富野由悠季氏の真意だったのでしょうか?

 富野由悠季氏は劇場版の当時のストーリー音声が収録された、レコードの解説書の中にあった「ツギハギ映画考3」で次のようなコメントを出しています。

「アニメは漫画、漫画は低欲、そう言われて何年が経とう。いやアニメはこうなっているんだ、それを知らせるためにやったイベントがアニメ新世紀宣言・・・」

そのように富野由悠季氏が「ツギハギ映画考3」で出している以上、「アニメなんか見ている場合じゃない、自分自身の人生を全うしなさい」という解釈には矛盾が生じます。

 富野由悠季氏が過ごした青春期は、学生運動が盛んな時期でした。大学生は自分達の未来を考えると国に従っていられない・・・そんな時代でした。そのような時代背景があり、その時期に大学生であった富野氏にとって、権力に対する反発心、そういったものは、現在の若者と比べ物にならないほど強いものがあったと想像できます。実際、年齢的に同年代のキャラクターデザイン担当のスタッフの一人である安彦良和氏は、学生運動に参加しています。

 実はそのような時代背景から生まれた思考が、ガンダムにも色濃く反映されていることが気づきます。私は年代的に基本、ファーストガンダムしか詳しく知りませんが。

 それまでの戦闘物のアニメ、悪者と戦う正義の味方から、権力を持とうとする国家との戦争、正義の味方などという感覚の無い戦士にガンダムでは変化しています。そのような何のために戦っているのか分からない登場キャラクターたちが、「人間の意志を阻止するの、そんなものは排除したい、そんなものとは闘わなくてはいけない・・・」というようなことを、さりげなく言う場面があります。そのさりげないセリフの中に、この作品の真実が見えてきます。最初は無意識のうちの戦争に若者が放り込まれ、しかしその中で階級感情が生まれていきます。専制国家、すなわち大きな政治権力を持つ支配者によって、独断的に行われる政治体制が闘う相手方の国家でありました。しかし支配される側の相手方の国民には、支配者親族からの言葉巧みな演説により、相手方の方が悪いという感情が植え付けられていきます。それを次第に専制国家と戦う戦士たちも悟っていき、支配階級には闘わなくてはいけないないという感情が生まれていきます。このままでは敵に隷属されてしまう・・・、しかしそこから解放されなくてはならないという感情です。

 実はこういった物語の構図になる土台というのが1960年から1970年代、大学生であった制作スタッフの思考が色濃く反映され、築かれています。

 さて、現代に目を向けると、今年はコロナ問題で1年が過ぎようとしています。政府はどういう思いでこの1年間、国民に向かって言葉を発してきたか、またそれに対して現実的な状況はどうだったか・・・、労働者は仕事を蝕まれ、子供は学校生活を蝕まれ、大変な状況に陥りました。数々の建前上の政策は空振り、しかし10月の初め時点ですが、この状況でも来年のオリンピック開催にこだわり続けるというありさま、戦後、国家と一般大衆がこれほどまでに溝が出来た年はなかったのではないでしょうか?

 そこで私達が身につけなければならなかったのが、洞察力でした・・・。首相がどういう気持ちで発言をしているのか、内心はどうなのか、首相はなぜそのような発言をするのか、首相をとりまく環境はどのようなものなのか? また都知事、県知事はどうか? TVの司会者、コメンテーターはどういう環境に置かれているのか、それが洞察できなければ、状況に対しての我々の判断、行動もできないのです。私達は支配者、権力者、上に立つ者の言われたことに対して従う習性は持っています。しかしそこで常に深く考えているでしょうか? なぜそのような発言をするのか、そのような発言は本心か、そのようにやることによってみんなが利益を生むのか? そこのところを考える必要があるでしょう・・・。

 機動戦士ガンダムに戻りますが、ストーリーの中ではキャラクター一人一人が、自分の考えを持っていました。なぜそういう発言をするのか、それには意味合いがあり、生まれ育った形成過程が発言に反映されるキャラクターもいました。正に視聴者、映画を見に行った観客の洞察力が試される瞬間でした。ガンダムが面白い、面白くないという境目は、個々の洞察力にあるという面が大きいと私は思っています。キャラクターの言っている意味合いが分からなければ、モビルスーツ宇宙戦争だけでは、見ていてつまらないだけしか残らないのです。そういったモビルスーツ宇宙戦争は、アニメという手法上の隠れみのの要素があるわけです。ですからTV版のオープニングが子供ぽっくても、実際の中身はつかみにくいということは当時から言われていました。少なからず洞察力がないと、とても内容や製作者の言わんとしていることが分かるものではなかったのです。

 そのような機動戦士ガンダムの総監督がファーストガンダム劇場版で残したメッセージ、And now... in anticipation of your insight into the future・・・

それは洞察力を身に着けないと権力者に隷属するだけ、個性を出し、人間らしく生きられない・・・、高度経済成長からバブル期を経て労働者が搾取され、子供の生活にも影響を及ぼすという、未来がどうなっていくのか、国家や支配階級に個人の生活が脅かされないか、それを見越した上でのメッセージだったと、今、私は感じます。「アニメなんか見ている場合じゃない、自分自身の人生を全うしなさい」というのはその通りですが、学生運動の時代を生きた人は、未来はどのようになっていくのか? それこそそれに対しての洞察力もあったと私は思っています。しかし、国家の支配階級に支配されてしまわないようにと言うと、ストレート過ぎてしまいます。そこで横文字のメッセージが妥当であったと思うのです。

 私達は日常で環境に染まり、自分を見失しないがちになるときがあります。少数より大多数の方が正しいと思ってしまう、そういうところはないでしょうか? でも今年はコロナ禍で、一人一人の主体が問われました。マスクをする、旅行をしない、一人独断で走るのではなく周りと協力する、自分の感情だけ出し生活していたのでは、生活しづらい年になりました。

 相手が、また政府が何を思い、それに対して自分はどう分析するか、評価はどうか、評価を出したら行動はどのように組み立てるか? そういうことが問われていきます。またその根本にあるのが洞察力であり、相手の考えが分からなければ分析ができず、相手に対しての評価も正しいものにならないのです。

 結果、行動の誤りが生じてきます・・・。

 しかし私が思うに、実践してみて、そこで反省してまた現実から組み立てる、行動の誤りはそのように是正できるものと思います。

 

そのときに、また洞察力が必要となってくるのです・・・。