SENDAI ORIGIN

YouTubeチャンネル「SENDAI ORIJIN」制作者のブログ

吉村知事は大阪の救世主になるか

 コロナ禍の中、連日、メディアに登場し、知名度が全国区の大阪府の吉村知事。23歳で司法試験に合格し、弁護士という肩書も持つ44歳の若き知事です。

 コロナ対策において「大阪モデル」という独自基準を打ち出し、大胆な姿勢、実行力が一時期話題になりました。

 そこで私が思うことは本当に現実から出発して判断し、政策を現実に有形化しているか? というところ、そこに着目しなければというところです。

 今、大阪ではコロナ禍において医療崩壊の危機が騒がれています。この医療崩壊は国の政策GOTUキャンペーンが失策だったからでしょうか? 確かにGOTUキャンペーンの停止において、国のスタンスとして、自治体からの停止の要請があれば停止するというような考えは、国は何を言っているんだということにはなるでしょう。しかし今回の医療崩壊の危機において話しは別です。そうなる以前に対策を取るということに関し、住んでいる地域の者の方が状況は分かるはずです。

 テレビカメラの前で以前、「大阪モデル」なるものを、全国に先駆けて誇らしげに説明していた吉村知事。しかし一方で大阪府は、病院の病床は余っていても、スタッフが足りていないという議論をずっとしてきたと、医療関係者は言います。それがやっとここにきて、あわてて医療従事者の確保に走っているようなのです。

 大阪府知事吉村氏は、机上でそれなりの計画は立てられたとしても、現実的に重要な点、また政策の有形化において状況が好転していくのかという、現実的な目線というものが乏しかったと批判されても致し方ないのではないでしょうか。

 どうしてこういう状況が起きるかと言えば、府民より、自分にこだわっている結果だと私は結論付けます。頭のいい方なので優秀な政策は出す、しかしその思いの背景には何があるのでしょうか? 自分の株を上げるという自分へのこだわりの部分はないでしょうか? いやそんなことはない、知事は頑張っているという人もいるもしれません。しかし現実のひっ迫した状況が政策・判断において、現実を好転するために今の状況を分析し、そこから組み立てていくというよりも、頭が良すぎるばっかりに、主観的に組み立てて、一見、完璧ともいえる「大阪モデル」を作り、打ち出したものと思われます。

 私は非現実的な、コロナ禍における休校の学習の遅れを解消するという、学校の「9月新年度」の件について、その改革に取り組み注目を浴びようともくろんでいた吉村知事の姿に、現実が分かっていなく注目を浴び、株を上げることに固執した危険な知事という評価をそのとき持ちました。9月新年度案は、このブログにも9月入学案の意見として、私の考えを述べたときがありましたので、そちらの方はぜひ、ご覧ください。

morinomiyakotyanneru.hatenablog.jp

morinomiyakotyanneru.hatenablog.jp

  9月入学案は、4月、5月はしきりに大衆段階でもその方がいいという考えがありました。そういった世論もあったので、なおさらイケると思ったのでしょう。しかし世の中の新年度は4月であり、社会構造も変えない限り、学校だけ新年度が4月にはできないのです。その社会構造を変えることがどれだけ大変なことか、吉村知事は分かってないのではないでしょか? 主観的な理想論を唱えても現実は変わらないのです。仮にコロナが秋までに終息してたとしても同じです。

 私は解雇撤回闘争において、一定の数の弁護士さんとは接点がありました。そこで、弁護士さんとは雲の上の存在ではないことが分かりました。現実ではない話しをあたかも現実のように並びたてる、解雇撤回のときの会社側に着いた弁護士は、そのような弁護士でした。文章の作成能力は弁護士であればありますから、いくらでも文章は書けるわけです。しかしその内容が現実的なのか?と言えば、それは作成能力と比例しません。

 相手側の弁護士の答弁書を打ち砕く、それは簡単なことです。現実から出発した正論を書き、文章に創作は入れないことです。相手がプロの弁護士であってもこちら側に非がない場合、弁護士が作成した文書さえも打ち砕くことは可能です。

 吉村知事は弁護士の肩書を持ちますが、ある意味、そういうところは出てると私は思っています。正論を言っているがごとく政策を並べ立てることも、職業柄、訓練されているところがあります。

 しかし、ちゃんと現実を見て、こんなの引き受けられない・・・と初めから言う真面目な弁護士の方が多いわけですから、みんながそうやっているわけではありませんが、弁護士はそういうこともできるということです。

 いろいろ言いましたが、まだ若い吉村知事には頑張ってほしくも思っています。それには自分へのこだわりを捨て、現実を見て分析していき、現在の状況を評価し、そこから政策を立てていくというサイクル、その流れを作ることだと思います。そうしなければ、立派な政策を打ち出しても状況は変えられないどころか悪化する、空振りの政策になってしまうのです。