夜明けのCRYSTAL LOAD<懲戒解雇からの復帰>

合同労働組合分会 北上京だんご分会長が書くブログです

懲戒解雇、そして復帰までの道のり2

 2016年4月4日、私は「組合活動はやめなさい。」「組合辞めるか、会社辞めるか、どっちかの選択だって言っているんだよ。」等と実質的な解雇通告を会社から言われ、この行為が不当労働行為に当たるため、合同労組本部としては早急に文書が作成され、宮城県労働委員会に2016年4月13日に、不当労働行為救済が申し立てられました。この申し立については宮城県庁内の記者室で会見が行われました。

 会社の私に対する解雇通告から始まった労働委員会申し立てです。しかし、いざ報道がマスコミから出たとたん、会社は、分会長がマスコミの前で会見を行ったから会社は多大の損害が出た・・・という風にこれ以降、言い方が変わっていきます。

 申し立ての翌日の2016年4月14日、私は「懲戒解雇、そして復帰までの道のり1」で話した通り、取締役と顧問の3名に上手く呼び出され、書面で解雇通知を渡されました。労働委員会の申し立ての翌日という誰が見ても分かるように、労働委員会に申し立てたので解雇通知を書面で渡したというのは明らかでした。労働委員会に申し立てたので解雇した・・・そんな行為は法律上絶対に許されないことです。それを簡単にやってしまう会社、この事例からも分かるように、会社役員は主観的な思いで行動してしまう、それを職場の役職者たちも容認してしまう、そこが会社の根本的な問題だと私は思っていました。

 渡された書面を見ると4月4日に解雇通告からほぼ1か月後の5月4日に懲戒解雇、しかししかし、4月14日に会社から解雇通知を渡された時に元取締役に言われたのは、「4月4日に、付けで、あなたを懲戒解雇しました。」という信じられない言葉でした。元取締役の解釈では、4月4日の口頭通知によって既に私を懲戒解雇しており、それを改めて文書で正式にだしたということのようでした。

何という飛躍した考え・・・・。

その内心に何があるのかと言えば、4月4日で分会長を懲戒解雇している、だからもう組合は関係ないんだ、労働委員会の申し立ても怖くない!、という思いなのでしょう。

そうは言っても勤務年数が長い私でしたから、実際はすぐ抜けられるような状態ではないのです。4月4日に懲戒解雇、しかし労働はその1か月後まで・・・というのが会社が主観的に考えた私に対しての処分です。実際、マスコミは疑問に思ったようです。会社ではもう分会長は解雇になっている・・・と会社から反論を言われても、まだいるじゃないか???という事実がある、それに対して説明が付けようがないはずです。

 4月下旬に妻から言われたことがあります。妻の職場でも報道を目にする人がいたようです。それを割と涼しい顔で話す妻。私は改めて思いました。妻は私の思いを把握してて、動揺もしていない、組合活動は前の職場で正当性があることが分かっている・・・、そういう思考になる妻に対し、言葉では今まで何も言いませんでしたが、30代前半でこの人と結婚しようと思った私の判断は間違っていなかったと。こんな私に今まで付いてきてくれたのも、妻だからできること。ただ決して妻を祭り上げて言っているのではなく、物の考え、価値観、そういったことを結婚前は妻に対して観察していました。そして私はこの人だと20年以上前に決めました。その考えは正しかったと。お互いに空気的存在にならなければ、こんなこともできません。後から妻のことももっと書こうと思いますが、私が妻と合うと思っても、第三者から見れば、私は合わないと思う・・・という人も出てきます。だから妻が立派なのではなく、自分と妻はパートナーとして合うということです。その判断が若かりし自分が間違っていなかったということです。

 4月の中旬から下旬には、桜の花が開花し、花見シーズンになっていました。

☆花よりだんご☆

 澄み渡る仙台の榴ヶ岡公園にも北上京だんごは出店していました。青空の下、シートを敷いて、笑顔でおいしいおだんごを食べる花見客。数年後も売り場から同じように、その幸せそうな姿を見たい・・・、私はそう心の中で思いました。

 売り場の販売員さんからは「新聞見たよ。」と無表情で言われました。でもその表情も数年後、変えたい・・・、そう思いました。

懲戒解雇 そして職場復帰までの道のり1

 2016年4月4日、外回りから会社に戻ると、営業部長から「〇〇さん(社長の息子)が会議室に来てといっているよ。」と言われ、何だろうと疑問を持ちながら会議室の中に入ると、そこには社長、取締役1名、顧問、計3名が座って並んでいました。                       

 私はすぐに重大なことを言われるのを察しました。まさにその予感通りでしたが、でも正直、想像以上の発言をこのときされたのです。

 「あんたそれを言ってね、組合がどうのこうのってね。組合をあくまで組合を引きずってんのよ。組合を辞めるか、会社を辞めるか、どっちかの選択だっていってるんだよ。」

 会議室に入ると営業部長から言われた社長の息子ではなく、北上京だんごの役員3名がそこに座っていました。そしてその中の1名である取締役からのこの言葉でした。私は目の前が真っ白になりました・・・。

 この約1か月ちょっと前である2016年2月22日に、私は合同労働組合の分会を、職場である北上京だんご本舗にて公然化しました。その際に会社の問題点をまとめた組合パンフレットを、他分会の組合員と共に、出勤してくる労働者に渡しました。どうしても・・・どうしても・・・、私は会社に是正してほしかったことがあったのです。それを労働者は誰も言えませんでした。無理もありません。経営者と労働者、力関係で言えば経営者の方がとてつもなく強い・・・、ですから普通は声を上げられません。でも、でもです。誰かが声を上げなければ殻は破れません。

 私ももうその時、50代になっていました。そんな私ですから定年も見えてきていたので、法律違反等があっても目をつぶり、音沙汰なく定年まで過ごそう・・・そういう思いもありました。実際、その方が精神的にも楽なのです。でも・・しかし、それでいいのだろうかという思いになっていったのです。人生1度きり、労基法違反等、具体的なことはここでは書けませんが、違法なことを長い目で見て、それが普通の職場でいていいのだろうか・・・、そんなことでは働いている労働者、また取引先に対しても示しが付かない、今、声を上げなかったら私は後々後悔するだろう・・・、そう思ったのです。

 幸いなことに私の奥さんは看護師として働いていました。万が一、声を上げたことにより首になれば、家事でも何でもして会社と闘っていく、そう思ったのです。でもそう思える人物はたぶん職場には私しかいないだろうと思いました。普通は職を失くすことは死活問題です。ましてや解雇となれば次の会社の面接でも印象が良くありません。ですからこういうことを恐れずできるのは、この職場では私しかいないと思ったのです。

 正直、私は会社に対して声を上げるようなタイプではありません。自分で言うのもなんですが、気も弱くおとなしいタイプです。そんな私がなぜ?と、労働者の誰もが思ったでしょう。実際上司に「何で俺に話してくれなかったんだ。俺に話してもらえば不満なんて何とでもなる。」と公然化後に言われました。

 でも私は個人的な問題など、どうでも良かったのです。上司に話したところで、その上司も会社側に付く人間であると感じていました。個人的には問題が解決できるかもしれないけれど、その上司が会社に対し、ここがどうかしてる、と言えるかというと、そうではないと思っていました。でもそれが雇用される側の一般的な考えでもあります。普通は経営者を立てますし、自分の立場を危うくしてまで物申すことはしません。会社から給料をもらっている立場、それが前提で人は物事を考えます。でも、労力を売っているのは従業員であり、それによって会社は成り立っている、そうも言えるのではないでしょうか。

 私は筋が通らない条件で、労力を売って労働をしている北上京だんごの労働者を、放っておけませんでした。きれいごとばかり言うんじゃなく、自分が体を張って立ち上がらなくてはならない・・・、そう思いました。

 でも・・・、公然化から1か月足らずでストレートに、組合をやめるか、それとも会社を辞めてしまうか、ということを目の前で発言されるようなことになろうとは・・・、いくらなんだってこの間、会社も弁護士に相談しているみたいだし、そんなことを言われることはないだろう・・・、私はそう思っていました。そんな私がいざ言われてみると・・・、ここで強がりを言っても仕方がないので正直に言いますが、正に目の前がその時、真っ白になったのです。1か月ちょっと前、「北上京だんご本舗に労働組合ができました」という組合パンフレットを出勤してくる労働者に堂々と渡した私です。職場が改革されることを夢見て・・・。その思いがもろくも崩れ去るのか・・・、そんなことをそのとき察しました。子供もまだ小学生、いいお父さんでいたいし、実際、家の中に毎日いたらどう思うのだろう・・・、自分しかこういうことはできないとそれまで思っていましたが、その時、現実を突きつけられた思いでした。

 立場は自分達の方が強いと思っている役員達は、さあ、どうするんだね、こういうことになるとは思わなかっただろう・・・というようなことをそのとき言われました。まったく自分たちの方が優位である、そう思い込んでいる様子でした。というのも、この時点で会社の勘違いは始まっていたのです。後に分かることでしたが、労働者に渡した組合パンフレットがなぜか経営者まで渡っており、その書いている内容がネットに出ているという思い込みはこの時点で始まっていたようです。ですからその時、裁判を起こせば80%の確率で勝てるということまで言われました。その時はその自信は何なんだと思いましたが、後からその思い込みがあったことが分かり、なるほどと思いました。

 会議室から出た後、携帯電話で状況の報告を私はすぐさま、携帯電話で合同労組の委員長に連絡していました。その後、冷静に考えてみると、明らかに不当労働行為である、という思いが自分の中で強くなっていきました。そしてそれは県の労働委員会への即、申し立てにつながっていきました。2016年4月4日、私に対して二者選択を迫る取締役の一人の発言は、その後の法廷闘争の中でも、重要な意味ある発言としてクローズアップされていくのです・・・。

 

 

 

4年後、どうなっているか?

はじめまして。私はユニオン(合同労組)分会:北上京だんご分会長です。この3年間、辛いこと、楽しいこと、様々なことがありました。以前から会社には矛盾を感じこの3年前、ユニオンの分会を北上京だんごに立ち上げました。

私は後から後悔したくなかったのです。だから好きな会社を揺さぶってまで、こうあるべきだということを主張してきました。

私は北上京だんごが好きです。ずんだ餅を世に広めた北上京だんごが好きです。

だから会社とは闘わざるを得なかったのです。こういうことはたぶん私しかできないと思ったのです。他の労働者がやってくれないかなではなく、私がやらなければならない。体を張らなくてはならないからです。でも・・・、やはり客観的な目で見れば改革はしなければならないことは従業員には分かってほしい。

これはネット上に載るので、そこは意識して書いている為、どこまで書けるか分かりませんが、少しづつ、私の思い、北上の労働者としての空白の期間、少しづつ書いていきたいと考えています。

思えば慣れとは恐ろしいものです。労働組合を通してマスコミを集めた記者会見は数回行っています。組合活動により解雇になりそうになったとき労働委員会に申し立てました。その時に1回、仙台地裁労働審判申し立ての時1回、仙台地裁通常控訴に移行後の勝利判決の時1回、仙台高裁勝利判決の時1回、会社側に労働委員会命令が下りた時に1回で、この私がマイクを向けられることにもいつのまにか慣れていました・・・。

来年からの3年間、会社とどう向き合うか、みなさまとどう向き合うか、それをみなさまも見届けてください。もし4年後もブログが続いていれば、ユニオン分会北上京だんごにも大きな変化があるし、会社も変わっているでしょう。

いつまた私が大変な状況になっても構わないと今、思っています。すでに懲戒解雇を経験し、そして職場復帰した私は、それなりの覚悟はあります。後から後悔するような人生は送りたくありません。

そういう意味でこの3年間が大事です・・・。