SENDAI ORIGIN

YouTubeチャンネル「SENDAI ORIJIN」制作者のブログ

内的主観イデオロギーとの闘争

 

 

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 炎暑の候、みなさんいかがお越しでしょうか? コロナ禍において国民は今、矛盾の思いにさらされています。本日は令和3年7月28日です。東京オリンピックの真っただ中で、テレビではオリンピックの特番が流れ、ニュースも削られる勢いです。昨日はソフトボールにおいて日本が優勝し、13年ぶりに選手がうれしさを表現する場面が映し出されました。

 ちょっと前まではオリンピックの反対、中止という世論が日本国内流れ、政府の対応に国民が反発していましたが、今やテレビはオリンピック一色、そしてニュースまでもが第1にオリンピック選手の活躍を伝えています。昨日はネットでソフトボール選手への祝福が多数寄せられていました。国民もオリンピックを通しての愛国心が、一気に噴出している様子です。

 ところでこの日本の状況は、みなさんはどう感じるでしょうか。オリンピックに沸いた日本、そう捉えるでしょうか。しかし現実の日本に目を向けると、昨日東京のコロナ感染者は2848人で過去最高を記録しています。オリンピック期間中に過去最高の感染者数、こういう状況になったのは、正に政府の失策が要因でしょう。政府が自滅していく過程を、我々国民は見せつてられているような感じさえ取れます。

 しかしです、政府が自滅していく・・・、政府が悪い、そうとだけ言っていていいのでしょうか。オリンピック反対、中止せよ!そう言っていた中の人に、オリンピックに感動して盛り上がっている方はいないでしょうか? 実際にテレビ番組によってはそういう番組もあります。ただテレビだけではなく、私達大衆だってオリンピック反対と言いながら、手のひらを返したようにオリンピック情報に盛り上がる、そういうところはないでしょうか。

 私は現在の日本国において、そういう一貫性のない部分が今、露出していると感じています。

 政府は国民を思うより、自分達の利益を優先した考えに染まっています。ある意味、面白い状況になっているなと感じたのは、国民のオリンピック反対の意見を無視し、強行開催し、外国人であるIOCのバッハ会長に対し、多大なおもてなしをしてしまっているところでした。国民よりもバッハ会長、それは、誰が見ても異様な光景でした。そしていざ開催してみたら国民も盛り上がり、しかし東京のコロナ感染者数は増大するという、収集が付かない状況に今、陥っています。

 まず、政府官僚側を見れば、バカの一つ覚えみたいに何が何でもオリンピック、それで突っ走っていました。民主主義国なのに政府の国権主義、自分達が持つ特別な力により国民の意見を聞かず、感情のまま押し進めてしまうという最悪の政権ではないですか。自分達の考えで押し進めるにしても、そこに国民目線になった政策はあったのでしょうか? 緊急事態宣言発令と解除、ここ1年半あまり見ると、その連続でした。直近で言えばオリンピックの1か月くらい前に緊急事態宣言を解除し、オリンピックに備えていましたが、感染者が増えたので、またオリンピック前に宣言の発令、行き当たりばったりという言葉が日本にはありますが、正にこのことを言うのでしょう。1か月後にはこう計画したい、2が月後にはこう計画したい、そして半年後にはこういう状況を構築したい、政府からのそういう政策や構想が伝わってこないのです。もっとも先を見据えた構想を立てるならば、今の時期にオリンピックは無かったでしょう。というのもワクチンの接種が進まない中で、願望だけでオリンピックをしようというのは本来あり得ないのです。全体的な政策を考える人物の不在、そして、いる者は自分達の立場利益を優先する政治家、これでは良い方向に進むわけはありません。

 さて、ところでその姿を見ていた私達、国民はどうだったのでしょうか。コロナ禍の中でのオリンピック反対、そういうテンションが高まった時に、政府に向かって運動を起こしていたでしょうか。起こしていた人もいたでしょう。しかしたいがいの国民は私と同じように、ネットでは言うが運動まではしていなかったのではないでしょうか? それどころか反対を掲げていた人物が手のひらを返したようにオリンピックの応援にテレビにくぎ付けになる、なんてことはないでしょうか。結局のところ、政府に一貫性がないと感じても、感染を拡大方向に持って行っているのは国民なんです。オリンピックは応援して、感染拡大の状況になると責任転換して政府のせいにする、私を含め、そんなところはないでしょうか。

 もっとも政府が国民に対し、感染拡大を抑えるため自粛した考えを持ってもらう方向に仕向けなかったのは、一つの落ち度の要因ではあります。「なんだ、オリンピックはやるんだ。じゃ、我々がどこに出かけたって勝手じゃないか。」そういう風になってしまいます。そういう世論を政府が国民に対し植え付けてしまったこと、それは良くないことでした。

 だからといってその政府の良くないことを認識し、自粛に励もうじゃないかという人はとれだけいたでしょうか・・・。

 私達には物事に対し思うままに言ってしまう部分があり、言った後は別な感情に変わったり、自分の立場が危うくなると自己保身に走るところがあります。周りを見るより自分です。自分が可愛いのです。ですから資本主義下の日本では、国全体のために私は頑張るという人物が出てこないのかもしれません。一人一人の国民が政府官僚の態度・影響を受け、もはや個別分散化しているように感じます。

 ここで、最も恐ろしいと感じるのは、そういう国民性や個々の資質がそうなっているということを、私達が認めないこと、そのような欠点があることを私達が自覚していないということが、最も危険なことではないでしょうか。私自身、誤りや欠点がどこにあるのかと追及もせず、そういうことを言われると感情が沈んでしまいます。ところがその欠点や誤り、その意味を認識し考えるところに発展性が生まれます。そのことを自分で考えられないとしたら、自分を第三者的の視点から見れない、つまり主観主義ということになってしまいます。自分はこう思う、しかし周りから見た視点では、自分の思いとは全く違う・・・という、悲しいかな私はそうでした。そのようなイデオロギーの固まりが自分にはありました。これでは恐れ多くも、相手の立場に立っては考える人間にはなれません。

 オリンピック開催と同時に東京のコロナ感染者が最高数値、この国の迷走はそのような国権主義を一貫性のない私達が許し、変わり身の早さで、オリンピックが始まればオリンピックの方に気分が盛り上がってしまっている言動があり、そこにも現在の問題の増大はあります。

 いずれにせよ、現在7月28日の歪んだ状況は国が悪いという外的批判の他に、自己の批判も我々はしなければならないでしょう・・・。

 昨日感染者2848人、そして今日夕方の発表はどれくらいになるのでしょうか? 国は何やっているんだ!と言っていると同時に、オリンピックの開会式のテレビ視聴率は50%以上で、テレビの前でみんな、オリンピック開会式を観ていたという矛盾がここに存在するのです。